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東京高等裁判所 昭和22年(ナ)38号 判決

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負擔とする。

事実

原告訴訟代理人は被告が昭和二十二年六月三日爲した「北村義保の山梨縣西八代郡選擧區に於ける縣會議員の當選はこれを無効とする」との決定は之を取消す、訴訟費用は被告の負擔とする旨の判決を求め、其の請求原因として次の通り述べた。原告は昭和二十二年四月三十日執行された山梨縣々會議員選擧に當り西八代郡選擧區より立候補し、當選人となつたが、訴外堀内敬次郞により、原告の當選の効力に關し、被告に異議を申立てたところ、被告は、原告が昭和二十一年十二月二十五日、山梨縣北巨摩郡龍岡村より、現住所である甲府市橘町一番地に住所を移したものと認定し、從つて選擧當日である昭和二十二年四月三十日迄引續き六個月以上甲府市に住所を有して居なかつたから、被選擧權を有しないものであるとの見解の下に、昭和二十二年六月三日前記のような決定をして同月六日其の旨告示した。しかしながら、原告は昭和二十一年八月二十八日龍岡村より甲府市の右現住所へ住所を移し爾來そこに居住してゐるものであるから、右選擧當日被選擧權を有して居たものである。仍て被告の右決定の取消を求めるものであると主張した。(立證省略)

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を決め、答辯として原告主張事實中原告が昭和二十一年八月二十八日に龍岡村より甲府市に住所を移したことは否認するけれども、其の餘の事實は總て認める。原告は同年十二月二十五日龍岡村より甲府市に住所を移したものであると述べた。(立證省略)

理由

原告が昭和二十二年四月三十日執行された山梨縣々會議員選擧に當り、西八代郡選擧區より立候補し當選人となつたが、その當選の効力に關し訴外堀内敬次郞より被告に對し異議の申立があリ、被告が之に付き原告主張のような理由で、其の主張のような決定をしたことは當事者間に爭がない。

原告は、昭和二十一年八月二十八日、山梨縣北巨摩郡龍岡村より甲府市橘町一番地に其の住所を移したと主張するけれども、この點に關する甲第一、第二、第三、第十號證の各記載、證人太田英雄、矢島豐、北村はな、三枝英訓、黑澤淸、北原庫三郞、荻野豐〓の各證言、及び原告本人の陳述は、原告が其の住所を其の主張の如く移轉したと言う趣旨に於ては當裁判所の採用し得ないところであり、甲第四號證の一乃至十(原告が取締役である甲陽振興株式會社に對し提出した旅費請求書)の住所欄に、甲府市橘町一番地と記載してあることだけでは、未だ原告の右主張事實を認定するに足らない。其の他原告の各主張を肯認するに足る證據はない。却つて右に擧げた證人並に原告本人の陳述、及び原告本人の陳述によつて眞正に成立したと認められる甲第八號證の一、二、證人五味民啓の證言を綜合すれば(イ)原告は昭和二十年四月、空襲の激化に伴い甲府市より右龍岡村に家族と共に疎開轉入し、同村若尾新田二百七十二番地に住所を定めて居住して居たこと、(こゝに原告の住所があつたことは當事者間に爭がない)(ロ)終戰後間もなく荻野豐〓等が甲陽振興株式會社の設立を計畫するに當り、原告は甲府市内窪田耕〓方にあつた右會社の創立事務所に勤め、昭和二十年十一月一日右會社成立後は其の取締役となつて、甲府市橘町一番地の會社事務所に於て執務することゝなり、何れも龍岡村の原告の住所より通勤して居たこと、(ハ)原告が右通勤を爲すには右住所より韮崎驛に出で、同驛より汽車を利用し甲府驛に至るのであるが、住所より韮崎驛まで徒歩にて約三十分、韮崎驛より甲府驛まで汽車にて約二十五分間であつたこと、(ニ)會社事務が極めて繁忙であつた爲め、原告は昭和二十一年八月二十八日、右會社の事務所に隣接して設けられた社宅の一室(八疊の間)に、單身布團寝巻飯茶椀茶道具だけを携へて引き移り、起居するに至つたこと、(ホ)原告は右の如く會社の社宅に引き移つた後も、相變らず甲府驛と韮崎驛との間の定期乘車券を購入し、一週二、三囘位龍岡村の家族の許に至り(但し歸らない週もあつた)其の都度殆ど宿泊して居たこと、(ヘ)當時甲府市への移入は自由であつたに拘らず原告は其の手續を爲さず、食糧其の他の配給は龍岡村に於て受け、甲府市の社宅に持參し、自炊する等簡單な生活をして居たこと(卜)其の後右會社の社宅に、原告が使用する他の一室と炊事場が增設せられたので、昭和二十一年十二月二十五日原告の家族全部が荷物を取り纒め、右社宅に引き移り、其の際原告初め家族全部の甲府市えの轉入手續を濟したこと、(チ)原告が單身で右社宅に居住中原告の妻北村はなは一度も其の居宅を訪ねたことがなかつたことが夫々認定出來るばかりでなく、成立に爭ない乙第二第十一號證、證人五味民啓、落合政隆の證言によれば、(リ)龍岡村に於ては、昭和二十一年十月十日現在により、選擧人名簿を調製することゝし、隣組長をして居住者中數へ年二十一歳以上の者を漏なく調査し報告せしめると共に配給のみを受け事實上居住しない者は、報告より除外するよう注意して置いたのに當時の調査書には、原告、其の妻外一名の氏名が記入報告され從つて同年十一月三十日に確定した選擧人名簿に、原告等が登載せられるに至つたこと、(ヌ)甲府市に於て昭和二十二年四月施行せられる山梨縣々會議員選擧に關し前年十二月二十日確定した選擧人名簿の補充名簿を調製するに當り、原告は右補充名簿にも登載せられるに至らなかつたことが認定し得るのである。

以上の認定事實に徴すれば、昭和二十一年八月二十八日原告が龍岡村より甲府市橘町一番地の甲陽振興株式會社の一室に引き移つたのは、專ら當時繁忙であつた會社事務そのものを處理する便宜の爲であり、原告の生活關係の場所的中心である住所そのものを移轉したものとは認め難いばかりでなく、原告自身の意思も生活の本據を甲府市に移すことにはなかつたものと認定するを相當とする。而して原告が甲府市橘町一番地に住所を移したのは、昭和二十一年十二月二十五日其の家族と共に之を爲したものと認むるを相當とすること前記認定事實に照し明であるから、原告は、昭和二十二年四月三十日執行された山梨縣々會議員選擧當日まで引續き六ケ月以上甲府市に住所を有して居たものとは云ひ難い。故に原告は、甲府市に於て選擧權なく從つて被選擧權もないこと明であるから被告が昭和二十二年六月三日爲した「原告の西八代郡選擧區に於ける縣會議員の當選は之を無效とする」旨の決定をしたのは相當であつて、之を取消すべき理由がない。

よつて原告の請求を排斥し、民事訴訟法第八十九條を適用し主文の通り判決する。

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